2019年 01月 10日
長谷川等伯の「松林図屏風」
「松林図屏風」(左隻部分)
"Shōrin-zu byōbu" (Pine Trees)"
文禄2〜4年(1593年〜1595年)頃(16世紀)|インク| 紙|各156.8 ㎝ x 356 ㎝:本紙部分のみ|東京国立博物館蔵
作品には年記がなく制作年代は未詳であるが、等伯の作風の変遷から文禄2-4年(1593-95年)頃、長谷川等伯50歳代の作と推定されている。
文禄元年(1592年)等伯が祥雲寺障壁画(現・智積院襖絵)を完成させた翌年、息子の久蔵が26歳の若さで亡くなっており、
その悲しみを背負った等伯が、人からの依頼ではなく自分自身のために描いたと言われる・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/松林図屏風
文禄2〜4年(1593年〜1595年)頃(16世紀)|インク| 紙|156.8 ㎝ x 356 ㎝:本紙部分のみ|東京国立博物館蔵
https://ja.wikipedia.org/wiki/長谷川等伯
........................................................................ Blog ......................................................................... ぶらり京都 -11 [長谷川等伯展・京都国立美術館] JR京都駅から一つ北の七条通りを東にぶらりと歩き出す・・・ 目指すは、京都国立美術館の [特別展覧会] 没後400年・長谷川等伯展・・・ 頭の中に桃山時代頃に起こった長谷川 等伯とライバル、狩野 永徳の確執を想像しながら・・・ 長谷川 等伯・天文8年(1539年)〜慶長15年(1610年)・・・満72歳没 狩野 永徳・天文12年(1543年)〜天正18年(1590年) ・・・満47歳没 時は、信長の天下統一で戦国時代が終わりだそうとする頃・・・ 等伯は能登の七尾から息子・久蔵と京へのぼったのは元亀2年(1571年)頃、30をわずかに過ぎていた・・・ https://guchini.exblog.jp/13640369/ ................................................................................................................................................................................... |